技術で適当に遊びたければ人に頼りきるとラクなんだろうけど、何かを追求したいときは、甘くなくて、実験のプログラムや解析は自分でやらないと、思うように挙動しないし、結果的に時間を無駄にすることになります。
ということで、これからはなるべく自前で何でも作ります。なんかもう、ちょっと違う領域に入ってきたな。
技術で適当に遊びたければ人に頼りきるとラクなんだろうけど、何かを追求したいときは、甘くなくて、実験のプログラムや解析は自分でやらないと、思うように挙動しないし、結果的に時間を無駄にすることになります。
ということで、これからはなるべく自前で何でも作ります。なんかもう、ちょっと違う領域に入ってきたな。
これか?
https://github.com/mitsuba-renderer/mitsuba2-vdb-converter
すぐに読んでみる。
結果、よくわからんかった。mitsuba2のボリュームがmitsuba1とxmlからして違うことはわかって、heterogeneousの中のsigma_tをgridvolumeタイプでボリュームデータを読んだら、実行は通ったけど、結果が思ったように出ませんでした。もしかしたら方向とか座標がずれているのかもしれませんが、よくわからずです。
とある投稿に向けて、私の手法との比較画像を作る過程で、いやー最適化してーなぁ、と思ったのだけど、ほぼ手付かずで、そのまま数週間たって、某上司から「アドベントカレンダーって企画しってる?」と聞かれて、知らなかったけど、イキり負けしたくなかったので、「んー、聞いたことあるかなぁ」とか言ってたら、話が進んで、冒頭の最適化の記事を書くことが決まってしまいました。
どうやらアドベントカレンダーってのは、もとは25日までの日めくりカレンダーだったのだけど、qiitaという謎サイトが技術屋が12月1日から25日まで、毎日更新の記事を書くイベントに仕立てたらしく、上の会話のアドベントカレンダーは、元の意味のアドベントカレンダーではなかったということです。
どうせなら、今やらなきゃいけないことを書こうと思い、Mitsuba 2という神を使うことを書いてみました。
で、できたページがこれ。
https://qiita.com/dw_sakurai/items/08888526d70672a2c402
本当はボリュームレンダリングまで書くつもりでしたが、書くのがだるいし、時間もゆとりがあるわけではないので、途中でやめました。無理。
それでも、多少、読む人がいるかな、と思っていたら全然人気がないらしく、なんじゃい、という感じです。
まぁ、よくよく考えたらMitsuba 2に興味ある人は英語読めるし、コードも読めるし、なんでもできるので、こんなページに興味持つわけないな、と気づいて、「あっちゃぁ、やっちまったなぁ」という気分です。
手が空いたら調べ物をすると言っていたのにもかかわらず、疲れすぎて脳みそ使わないことやろうと思い、ポケモン対戦したら、捕まった女騎士のごとく、「くっ、ころせ」と言ってしまうくらい、某オタクにボコられてしまった。絶対に許さない。よくよく考えたら、サニーゴに殺さただけなので、詰めの技を入れておけばいい話だった。くそくそくそくそくそくそく。
ま、それと、新ポケも鍛えていく。必ずぶっ。
新しい問題を見つけたので、それのために手順を組んで、ちょっとだけ新規性のあるアルゴリズムで解こうとしたのだが、結果のクオリティが足らなかったと反省している。
それでも、特定の変人は喜んでくれた。6名くらい。議論のなかで、良いアイデアが出たので、実装して結果が改善したら、何名かに連絡してみようと思う。
技術的な貢献で、私が気付いてなかったけど、某Sぐる先生が気付いたのは、スーパーピクセルの算出演算をピクセルではなく要素に拡張し、CVDに適用しているところ。これは全く気が付いていなかった。
そのあとに思い付いたのは、周辺領域の色の畳み込みで、目標画像に近づける可能性があるので、もしかしたら制約付きの行列操作だけで、最適化を実現できるかもしれない。
ひとつの発表をとっても、捉え方がいくつもあって、あの発表は面白かった、ためになったという声を聞いた一方で、あれはいまいちだったね、とも聞く。ひとつの発表でも、背景や求めるものが違うと、印象が全然違うということを知った。
具体的なことでいうと、某先輩のトークである。トーク内容は、正直ほとんど覚えていないのだけど、企業での研究の継続性やマネジメントについてだったらしい()。
これについて、学生ウケは良かった、と聞いた。あの発表で研究職の幅の広さを知れたし、産業側への興味が出たとのことである。
一方で、某教員からは、スポンサーでもないのに自社の動きについて話過ぎだし、業界の人なら知らない話ではないので、もっと技術に寄ってほしいよね、ということである。
なるほど、どちらも言い分は正しいように思う。
賛否あるにしても、大半に有益なら良い発表だったんじゃん、って思う。あとはスポンサーしてくれ、というくらいである。
長く有益なことこそ重要であると言いながら、その基本である体調を崩してしまって、ほとんど生産的なことができない。
この時期は毎年、具合が悪いので、こうなることはわかっているのだけど、止められない。どうやら気温が急に変わるときに、ものすごく飲酒量が増えて、かつ、花粉症で基本的な体調がよくないのも合わさってるにもかかわらず、半そで姿で過ごしたりするために、すごい強力な風邪の症状が現れるように感じるのだが、飲酒はやめられないし、花粉症も止まらないし、厚着もだるい。自業自得としか言いようがない。
わかってて、対策しないのは単純にバカなので、こればかりは非難されても反論できない。
バカだから風邪をひく。
今日もオチは酒の話になる。
縁があり、複数の学生のグループを観察している。
どのグループでの一定数で「ちゃんとやってるな」と思える人がいるが、一方で「こいつ、やるべきことやってないな」とか、「やんなくていいことになぜで必死になってるんだ」と思う人もいる。
きっとそれぞれで「やるべきこと」の基準が違うからだろう。やるべきことをしっかりやっていない人は、やるべきことの基準を明確に説明できないだろうし、どの価値観に従って生きていて、誰の価値観と合わせてるのか考えたことすらないだろう。なので、一度は考えたほうが良い、と誰かがアドバイスしたほうが良い。ちなみに、私は進んで本人たちにはしない。パワハラとか言われたくないし。
私の基準は、急ぎか否かと、妥当か否かもしくは有益かどうかの線で決められている。
まず急ぎか否かで考える。
経験上、急ぎのことはろくなことがない。
というか、急ぎのことは、かなり能力に依存する。そのため、実力がないうちに、何かやろうというのは、そもそも計画不足である。実力が十分にあっても、クオリティはフルパワー時より落ちる。スピード命のこの世界であっても、クオリティが一定を越えなければならない。ただスピードだけ言ってるやつはだいたい落ち目というかバカ。
もし、実力がないうちで、急ぎの状況になったなら、それはそいつが甘いだけである。ゼミの発表で1日しか準備に時間をかけないで参加するなど、その極みである。甘すぎる。そしてだいたい甘い奴に限って、自分が優秀だと勘違いしている。頭が悪いとはこのことである。脱線したが、急ぎのことは、やらなきゃいけないことだが、進んでやるべきことではない。
妥当もしくは有益か否かで、妥当なこともしくは有益なことは、利が多い。つまりやるべきことである。自分の判断で、これ面白いからやりたい、とか、いくら儲かるから幸せ!とかわかるなら、やったら良い。
つまり、急ではないが、妥当なこと有益なことが、やるべきことと判定できる。そしてその基準に従っているとだいたいうまくいく。具体的にこの基準のやることは、哲学や数学、文学など基本的な学問であったり、外国語や文化交流、さまざま宗教の知識を知ることであったり、今しなくてもいいけど、いつか役に立ちそうなことである。ほかにも健康や武道、飲酒などなど、多々ある。このようなことが実力につながる。
とはいう一方で、私は、部分的に急ぎのことを優先しがちでもある。会社員とは、実力を伸ばすところではなく、出力するところのため、これは避けようがない。
少なくとも自分の行動は自分で決められる人、特に学生には、長期で得られる知識や経験を優先して、実力をつけるのが良いだろう、と思う。実力がつけば、やったことのクオリティが高まるし、結果的に、時間がない中でも良い研究結果につながる。
どの時代でも基礎力が重要であるとわかる。そして、いつの時代も、その中心には飲酒文化がある。基礎の基礎は飲酒である。飲酒により、人脈が広がるし、深い話ができたりして、頼れる人が現れたりもする。飲み会で飲まない人は男女問わず、ネットワークを形成する気がない。そういや、飲まないのに、飲み会大好きなえらい先生がいるが、我々の学術分野の認知度をぶち上げられなかった理由は、彼がアルコールを避けていたからではないだろうか。やっぱり飲まなきゃいかんでしょ。だいたい偉い(と自分で信じている)人たちは、酒の自慢するのに、その場に行けない時点で、高いレイヤーでのコミュニティ形成や認知度向上につながるわけがない。そういや、私の分野にいる最近の研究者は男女問わず、アルコール依存系にみえるのだけど、どの分野でもそういう傾向なのだろうか。興味がある。
毎度気分で質問の答えを変えてしまう性質ですが、「どうやって研究を進めているのでしょうか?何に努力すれば良いでしょうか」と各所から聞かれたら、この質問だけには「やることをやるだけです」としか答えていない。そして、そもそも努力なんかしない。
努力なんて意識したら、「研究なんかやってらんねーっ、開発のほうが金になるしええわ」となるし、研究を努力してやらなきゃいけないような状況に陥った時点で、それは研究に合っていないと思う。知りたいことがあるから追求するというだけなので、知りたいことがないなら、研究のスタート地点にいないと自覚したほうが良い。
ただ知りたいことが見つかるというのが意外と高難度で、教科書に書いてあることに疑問がでない愚直な優秀な人は、多くの最新技術を素直に飲み込んで、考えの限界すらも納得して終わってしまう。「なんで、こうなるんですか?どうしてですかー?(ぽかーん)」みたいなことが教育課程の中で素直に聞けなくなっていくのが原因なのだろうけど、ま、それを克服できるのがセンスというものなのだろう。私は酒飲んだら無敵なので、知らないことに恥辱を感じることが少なかっただけかもしれない。
ということで酒最高。
先日の話だが、外出時に駅まで2km弱の徒歩の道で、駅で忘れ物に気付いたせいで往復したため、6km歩いた。
忘れ物をすることは、エクササイズであることがわかった。
で、今回は、「XXしなさい。あなたのためを思って言ってるのよ」という言葉について考えてみる。
人間Aというのがいるとして、AにXXをさせたい、もしくはXXをやめさせたい、というのが目標とする。
Aにさせたいことがあるのだけど、それを直接的に言うのは品がないというか、気が引けるという気持ちにある。
そこで使えるのが、「あなたのためよ」みたいな耳ざわりが良いフレーズである。
本心はAのことなんて考えていないが、こちらの考えを上品に押し付けることができる。
言ったほうからすれば、「あなたのためよ」と言っておいて、「あー、やったほうがいいのかな、私のことを考えてくれてるのかな」と思ってくれれば、儲けものである。
人間は元来良い存在であると信じてる輩が多いらしいので、結構有効に働くんじゃないかと思っている。
ということで、何かにつけて、あなたのためよ、と言って、あれこれ悪用してみようと思う。「ほら、私にお金を寄付しなさい、あなたのためよ」とか「ここにサインしなさい。あなたのためよ」とか。初対面でも有効か試すために、たまに行く飲み屋で実験してみようと思う。
と思ったら、youtubeでそういう系の話してる人がいた。
花粉症の私は電車内で非常に厳しい戦いをしている。
新型コロナが再燃しつつあり、うかうかクシャミなんかしてられないのだけど、どこも換気しているせいで花粉をどこかしこで感じる。電車も換気のために、かなり窓が開いている。電車が窓を開けて換気すると花粉がバンバン入ってくる。そうなると、クシャミもでがちである。
そんな環境なので、「クシャミくらい許してよ」と思うが、コロナ警察はそんなのを許すはずがない。わかる人には「あ、これは花粉症のクシャミだな」とわかるのだけど、コロナ警察はクシャミしている人を見たらコロナ野郎の疑いをかけて、血祭りにあげにくる。だから私は、殺されないように、花粉を感じるたびに面倒な対策をしている。
花粉症じゃない人は、クシャミくらい我慢できるって思うだろう。しかし、実際は花粉症のくしゃみはかみ殺せない。なので、出かかったら負け。それを阻止するための方法は、出かかる前に殺すしかない。その一つの方法であるが、私は、くしゃみが出るかなってときに、涙を流しながら、まつ毛を抜いて、花粉を追い出している。
効果的な方法で、ほぼくしゃみが出る前に花粉を追い出せているのだけど、目が充血するし、鼻水も絶妙に出てくるし、できることなら素直にクシャミしたい。もう少し穏やかな電車になってほしいなと思う。
なんてことを今日の昼間の電車で考えていた。普段電車で何考えているかなんて覚えていないのだけど、今日は、このあとにある出来事があったので、その前のエピソードとして先述のクシャミについて覚えていた。
クシャミの我慢がつれーな、と思ってつり革を握ってたら、前に座っている美女がスマホを取り出して、何か見始めた。直接その画面は見れないのだけど、たまたま地下だったから、窓ガラスに室内の光景が反射しやすくなっているので、窓ガラス越しにその画面が見えた。
自撮り写真を確認していた。
眼鏡の度数が低い時なら何を見ているかわからなかったかもしれないが、酔っぱらって眼鏡を壊して、作り直した後の眼鏡だったので、鮮明に見えた。
素性を知らない人だけど、リアルにいる人の写真というのは、なんだか非現実的で良かった。
今、体力的な点で「あと10年若かったらな」と思うことがあって、そういえば、前にも似たようなこと思ったなと思い出して、きっと10年後も「あと10年若かったら」と願うだろうと思うと、私はいつも「過去のあのときに戻れたらきっと良い」という具合に、今の自分を否定し続ける性質なのだろうと気づき、未来の自分が戻りたい自分であり続けるために、今、最高なアウトプットするように頑張ろうと思った。ということで、もう少しやってから寝よう。と書きつつ、どうせ何もしないし、酒飲んで寝る。
リモートワークを始めてめっきり人と会うことがなくなった。
昔は人と会うことを気にして、にんにくを避けていたが、今は外出しないと決めた前の日はなんとなく生にんにくを食している。
気にしないというのは何とも気分が良いもので、やり始めると止まらない。
本日も食いに食ったのだが、事故的に明日外出することになった。
お茶で濁すか。
蜂花粉が健康に良いと聞いて、買ったは良いものの全然食べてなかったのだが、昨日ひょんなきっかけで一口食ったら、それから涙と鼻水が止まらない。
イネ科の花粉じゃないはずなのでピンポイントのアレルギーではないはずなのに、ついに私も進化したらしい。
浅炒りのコーヒーを飲みながら、組み合わせ最適化と英語の勉強を進め、そのあと、軽く散歩した。というクソみたいな妄想もここまでで、実際は既存の水密メッシュの生成手法が通用しないクソメッシュを頑健に水密メッシュに変換する手法についてアプローチしまくるという地獄の一日。
かなりの濃度の酸味甘みコクが同居していて、値段相応の強さを感じました。かなーりおいしかったです。
次にいつ出荷されるのかわからないけど、見たら風物詩的に買うと思う。
今でも覚えているのが、結構、おいしい系の酸味がしっかりあって、でも甘めで、日本酒とは思えない、味わいの酒だったということ。
ひと夏で2升も飲んだくらいおいしかった。
また買う。
Delaunay_triangulation_3をTriangulationとし、入力点群pを母点として、それらに対応したボロノイ領域の頂点を返すコードのメモ。
incident_cellsではなく、finite_incident_cellsでトラバースしないと、仮想のボロノイ領域まで参照してしまい、思い通りにならない。
vector<vector<Point>> compute_voronoi(vector<Point> p) {
vector<vector<Point>> vor;
Triangulation T;
vector<Vertex_handle> vh;
for (int i = 0; i < p.size();i++) {
vh.push_back(T.insert(p[i]));
}
for (int i = 0; i < p.size(); i++) {
vector<Cell_handle> cells;
//T.incident_cells(vh[i], back_inserter(cells));
T.finite_incident_cells(vh[i], back_inserter(cells));
vector<Point> cell;
for (auto& cit = cells.begin(); cit != cells.end(); cit++) {
auto VP = T.dual(*cit);
cell.push_back(VP);
}
vor.push_back(cell);
}
return vor;
}
相手を尊重しろだの気遣えだの自分本位のことしか言わない輩は承認欲求を満たすために、いろんなところに出没するのだけれど、どういう神経してんのかわからないので、近づいてきたら質問してみたいことをメモっとく。
誰からも興味持たれないのは当然で、その程度のザマで魅力的だと思ってる?
他人から興味持たれるような特技や良いところあると思ってる?
人から気遣えって言われ続けて、それが挨拶だと勘違いしてる?
共感できない人と話できないなら、黙ったら?
お前の悩みに、こちらが興味あるといつから勘違いしてる?
何を期待して話しかけてるの?
尊重しろという態度が自分本位だということに気付いてない?
と、こんなもんかな。10人に一人くらいは面白い返しがあるといいな。
I had a slight headache this morning. It might be caused by low pressure or much beer I drank the last night. I have no idea.
Anyway, it is too hard to kill Dracozolt in Pokemon, and I feel stress. kusokusokusokusokuso.
Thanks to a correcting tool for English, I cannot write Japanese sentences now. It is a lousy tool.
Anyway, in recent days, I reduce the amount of coffee to get adequate sleep. However, that is also lousy, even if it is noon. I am sleepy. It is shiny, brilliant. But sleepy. I need coffee. Coffee is more important than G.
Having cups of Sake, I loose feeling to write an article in this blog. So actuality, I drank a lot of new bottles, but I did not write an essay about a new bottle of Sake here.
Anyway, I got an excellent Sake. The name is Ohju. This bottle is that Sake was brewed from H29BY (barth year) rice.