Thursday, October 20, 2022

筋トレついでに手書き

先週末から、ノートに手書きで1日に1ページまるまる使って文を書く練習しているが、B4サイズで41行のデカ詰めノートを使っているせいかずいぶんと量が多い。

文の内容は、たわいもない、自分の頭の中にあることを書いていくだけでどこに公開するものでもないし、支離滅裂でもなんでもいいやというものだ。目的は、「文について質より量をこなす、生み出す」というもので、手書きの理由は、手を動かす体力をつけるためである。最近、手を動かしていないせいで、指先の細かい作業がしにくくなっている。こういうことは運動量で補えるので、手を動かすことを選んだ。つまり、手書きで手の筋トレという側面を持った、文の量を生み出すトレーニングを始めた。

こういうことをやっていると目的とは違う点で、気付くことがある。書く速度は、タイプのより余程遅い、ということだ。

手書きだと、漢字の脳内シーキングと画数によるブレーキによって、文の量が遅くなる。PC上だと変換で、画数は気にしなくてよいし、脳内の漢字のシーキングも可視化されるのでずいぶんとスムーズに文が書ける。PCのほうが文を書く効率で圧倒的な気がする。

ただ同時に、「書くほうが思考の速度が遅くなる」ということは、変な論理にはいかない気がする。想像すればわかることで、複雑なものでも、ゆっくり聞いたら理解ができたり、人が押し切られそうな速度感ある話でも、ゆっくり聞いたら「あれ?」って思うことがある。つまり、「思考の速度を遅くする」というのは、確実に仕事をするうえで大切な工程だったかもしれない。止まるということではなく、ゆっくりというのは重要だと気付いた。

文を生む力も手の筋力も、確実な論理性のためにも、大切な工程なんじゃないかなと思ってきた。子供の時に手書きをたくさんやっていて、嫌だなと思ったが、なかなかに重要なことだったかもしれない。

と、やっている作業について調べると、これはモーニングページという手法と同じっぽい。でも、モーニングページの説明には、効果がつらつらと書かれている。たとえば、心のデトックス、素直になれる、不安が消える、とかだ。が、そんな効果はないだろう。頭がおかしい人や知的な障害があるなら、そういう効果があるだろうが、健常者には、思考をゆっくりにする効果くらいしかない。モーニングページで書いてあることはほとんどが嘘で、メンタル的な効果はひとつで、思考をゆっくりにする癖がつけられるということだろう。

論文を書いていた学生時代にやっておけばよかったなと思った。

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